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2007年1月31日 (水)

年齢は関係ない!

「息子の事故契機 資格を取り闘う」
というタイトルが目を惹く
中日新聞・連載記事を紹介します

既に「オヤジ」の部類に属する者には
良い励ましになります

『50歳プラス』 を生きる
交通事故被害者を支援する
行政書士 瀬古 修治さん(61歳)

 横浜市に住むフリーライター「吉岡翔」さんの人生の転機は一九九八年、五十三歳のときに訪れた。高校一年生だった息子が自転車に乗っていて自動車と接触する事故に遭い、後処理で五年間も苦闘した。
 その経験をばねに二〇〇三年、行政書士の試験に合格。今は本名の瀬古修治で行政書士として交通事故被害者の支援を地道に続けている。
 息子の事故は、自動車が自転車に近寄っていって起きた。息子は救急車で病院に運ばれ、下腿(かたい)部の複雑骨折などで約五カ月入院した。
 しかし、車の運転者の主張に沿って、警察は当初は「自転車がガードレールに当たり反動で車にぶつかった」と判断。責任は息子の方が大きいとした。検察も運転者を不起訴処分にした。
 運転者が加入していた任意の自動車保険の損害保険会社は、息子の責任が大きいのだからと、補償額を抑えにかかった。損保会社の代理人の弁護士も同様な姿勢を取り続け、瀬古さんは苦しい立場だった。交通事故に関する知識はなく、金銭的なゆとりもなかった。
 瀬古さんは大学を出て、勤め人の生活を十年した後、フリーライターと校正の仕事を続けていたが、「フリーライターは、一部の有名な人を除けば、年収三、四百万円ぐらいが普通だから」。
 それでもあきらめず、交通事故に関する本を読んで巻き返しを図った。さまざまな相談機関で学び、事故現場に繰り返し足を運んで写真を撮り、警察の矛盾点を考えた。警察、検察に処分の見直しを粘り強く働きかけ、結局は処分が覆って運転者が罰金を払った。
 だが、その後も損保会社側との補償交渉は難航。後遺障害が残ったことの慰謝料や逸失利益の金額などで双方の主張が大きく食い違った。交渉は決裂し、財団法人交通事故紛争処理センターに和解のあっせんを申し込んだ。最終的には〇三年、センターの審査会の裁定で、賠償総額は千九百万円余になった。
 瀬古さんは、損保会社が補償額を抑える体質が根強いことを痛感。交通事故被害者を支援していこうと腹を決めた。〇一年から今までに、被害者向けの本を四冊執筆。損保会社などとの闘い方をアドバイスしている。
 行政書士の試験を目指したのは、交通事故被害者を支援していた行政書士に「資格を得た方が活動しやすい」とアドバイスされたからだ。二回目の試験で合格し、東京都内に事務所を構えた。
 行政書士は法廷で依頼者の代理人になって活躍することはできないが、さまざまな書類の作成や助言で交通事故被害者を助けることができる。
 ホームページを開設するなどして被害者の相談に乗る瀬古さんは話す。
 「フリーライターは五十歳過ぎになると、出版社などから頼まれる仕事が減るのが普通。自分は行政書士としてやっていけるようになったので、よかったのでしょう」 (白井康彦)
 ホームページ=http://www.seko-gyoseishoshi.net/

中日新聞 2007年1月31日朝刊

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