日系人支援
三重県鈴鹿市の
NPO法人 愛伝舎が
新聞で紹介されました
日系人支援、生き抜く力 伝えたい -日本人と対等に活躍できる社会に
ブラジルへの初の移民船が神戸港を出航してから、今年で100年になります。契約移民だけで24万人が海を越えたといいますが、時代は下り、今は逆に日本へ渡る2世、3世がどんどん増えています。特にメーカーの製造拠点が多い東海圏に集中し、三重県鈴鹿市は人口20万人のうち1万人が、そこで働く日系などの外国人だといいます。
さて、異なる文化がぶつかると、地元住民との間で予期せぬあつれきやトラブルも起きるものです。そんな日系外国人の生活を支援するNPO法人「愛伝舎(あいでんしゃ)」から、「日本での日系社会の実情を知って」とメールが届き、事務所を訪ねてきました。
愛伝舎の主な活動は、通院時の通訳やよろず困り事相談。お邪魔した日もちょうど、「オブリガード(ありがとう)」と、相談を終えたブラジル人男性が帰っていくところでした。
笑顔で見送る米川アンジェリカ綾さん(44)は、日系ブラジル人2世。「自身のルーツを確かめたい」と15年前に来日し、京都のリゾート施設で働いた後、鈴鹿に来て中学校の指導助手になりました。学校には日系外国人の生徒が約30人もいて、ポルトガル語とスペイン語が話せる米川さんの仕事は授業だけにとどまりませんでした。
ある日、ペルー人の兄弟が朝から登校せず、名古屋で補導されました。日本語を勉強するよう厳しく言う親に反発したのです。
米川さんは深夜まで学校で待機し、戻ってきた兄弟をしかりつけました。「ここで生き抜くために、親がどんな思いで言っているのか、わからないのっ」
よほどの剣幕だったのでしょう。兄弟は一瞬、驚いた表情を見せましたが、ほどなく合点したようにうなだれ、泣いて謝りました。
「通学を強要しなくても」と言う教師もいましたが、米川さんは学校からこぼれ落ちそうになる日系人生徒に寄り添うことをやめませんでした。そのひたすらな姿勢に共感し、補習の応援に来ていた坂本久海子さん(46)が声を掛けます。
「日系人を受け入れる仕組みを一緒に作りませんか」。坂本さんも以前、夫の仕事の関係でブラジルにいたことがあり、ポルトガル語が堪能だったのです。
こうして2005年1月、愛伝舎が発足しました。
2人は日系人をこまめに回って日本の生活習慣を説明し、理解を求めました。▽ごみの分別は環境を守るため▽人を呼び出す時は車のクラクションを使わない……。やがて日系人たちは地元自治会に受け入れられていきます。公立中学に通う外国人の高校進学率が5割未満の自治体が多い中、鈴鹿市では8割にも達している事実は、いかに地域社会に溶け込めた人が多いかを示す証しの一つでしょう。
少子化が進む日本の産業の現場を、今や少しずつ支え始めている日系外国人。その現実を目の当たりにしながら、2人は「日系人が日本人と対等に活躍できる社会に」と、日々願いを込め、活動を続けています。
(2008年06月08日 読売新聞)
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