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2008年8月13日 (水)

闘将!星野JAPAN黒星スタート

0808140431005キューバの選手のスイング
すごかったですね~

星野監督は
世界の舞台でも燃える男でしたw

それにしても一瞬、退場を告げられたときは
ええっ?と思いましたが
すぐに判定が翻る審判の態度には爆爆

星野仙一~北京五輪で“一番輝くもの”狙う炎の勝負師

■甲子園は出場できず、東京6大学でも優勝なし

  北京五輪大会に出場する野球日本代表の監督。ピッチャーとして活躍した現役時代から、「炎の男」などとして熱血漢ぶりに定評がある。
 1947年1月22日生まれの61歳。出身は岡山県倉敷市。現役時代は右投右打のピッチャー。
  出生直前に父親が病死したため、ふたりの姉とともに苦労する母親の手で育てられた。高校時代は岡山県立倉敷商業高校のピッチャーとして甲子園を目指したが、3年生夏は東中国大会決勝で米子南高校に敗れて果たせなかった。
  明治大学に進学し、東京6大学リーグで通算63試合登板して23勝25敗。防御率1.91などと活躍したが、田淵幸一、山本浩二、冨田勝の「法政大学三羽ガラス」に阻まれるなどで、優勝はできなかった。

■ドラフトの失意バネ、熱血の巨人キラーに

  1969年にプロ野球の中日ドラゴンズに入団(ドラフト1位指名)。中日投手陣のエースとして活躍。闘志をむき出しにする試合スタイルが人気を呼んだ。1971年に肩を傷めて球速は落ちたが、多彩な変化球が威力を発揮した。先発だけでなくリリーフとしての登板も目だった。
  1974年には最多セーブと沢村賞に輝いた。同年は巨人のセリーグV10を阻止しての中日優勝に大きく貢献した。
  ドラフト時に巨人から、「田淵を1位指名できなかった時には、君を1位指名とする」との約束を得ていたが反故にされ、「打倒巨人」を心に誓ったという。現役通算成績は146勝121敗34セーブ。うち巨人戦は35勝31敗。大物選手を揃えるV9時代を含む巨人を相手に、目ざましい「戦果」をあげたと評価されている。

■低迷・混迷チーム引き受け、監督として3度優勝

  中日選手として2度目のリーグ優勝を果たした1982年をもって現役を引退。NHK解説者を経た後、1987年のシーズン途中で休養中の山内一弘監督と交代する形で中日ドラゴンズ監督に就任。ロッテオリオンズから落合博満を獲得するなどの戦力補強も奏功し、88年に6シーズンぶりにリーグ優勝した。1991年をもって勇退。
  1996年には、再び低迷していた中日ドラゴンズの監督に復帰。1999年にリーグ優勝した。2001年には勇退し、02年に阪神タイガース監督に就任。夫人の問題で退任を余儀なくされた野村克也監督の推薦だった。
  03年には阪神で監督として3度目の優勝。優勝決定直前に母親が急死したが、周囲やマスコミには隠し通して、優勝争いの指揮を執った。ただし、シーズン途中に体調を崩し、同年の日本シリーズ終了後に勇退した。200年4月からは阪神のオーナー付シニアディレクターに就任した。
  2007年1月に、王貞治氏に代わり野球日本代表の監督に就任した。

■周囲やファンに許された「礼儀正しい燃える男」

  現役時代には、投手交代を告げる監督を無視するなど組織人としては問題ある行動もあった。乱闘騒ぎも多く、監督時代の2000年には判定への不満から審判に暴行を加えて骨折させ、ファンから刑事告発された(被害届けが出されず、当事者も深く反省しているとして起訴猶予)。
  普段は非常に礼儀正しく、人に好かれる性格であることも、グランド内での「無茶」が許された一因とされる。また現役・監督時代を通じて、勝負に賭ける執念と気合が多くのファンに愛された。中日監督時代には、日本シリーズで敗れた際、相手チームの表彰式の際に選手全体をグランドに残して「この悔しさを忘れるな」と一部始終を見つめさせたこともある。
  「情」を重んじる人物で、田淵幸一、山本浩二との長年にわたる「男の友情」は有名。その他にも、各界の有名人・重要人物と幅広い交流がある。
  一方、監督時代に「勝負やタイトルに固執するのは当然」と言わんばかりの言動があり、タイトルがかかった投手などをシーズン終盤で通常では考えられない連投をさせたことなどには、批判的な見方もある。

■最も輝くメダルで野球の存在感示したい

  北京五輪については7月、「野球の存在感を示したい」、「とにかく、一番輝くものを狙っていく」と語って、日本チームがいまだ手にしたことのない、野球の金メダル獲得を目指すことを宣言した。
  日本は野球が五輪の公開競技だった1984年のロサンゼルス大会では優勝したが、正式競技となった92年のバルセロナ大会以降の金メダル獲得はない。同大会は3位、96年のアトランタ大会は2位、00年のシドニー大会は4位、04年のアテネ大会は3位。
  野球は2012年のロンドン大会では種目にしないことが決まっており、現時点では08年の北京大会が最後の実施となる。

中国情報局 2008年8月11日

20080813000000001スタメン直前変更OKだと?星野監督怒る

 初戦となる13日のキューバ戦を前に、北京五輪野球日本代表の星野仙一監督(61)が12日、監督会議に出席。1時間前に交換したメンバーを、5分前の交換で2人まで変更可能となったことに強い憤りを示したが、「日本は正々堂々と戦う」と力強く宣言。記者会見では「ここにわれわれの名を刻みたい」と改めて金メダルに意欲を見せた。
 決戦の幕開けを前に、闘将のハートに火がついた。午前9時に始まった監督会議は、10時ごろに終わる予定を、1時間以上もオーバー。星野監督は「幼稚園のミーティングみたいや」と顔をしかめた。何より強く憤ったのが、あいまいな“紳士協定”の継続だ。
 「2人までは代えられるって。1時間前の提出の後にな。スポーツマンシップとかフェアプレーとか言っといて。3人目からは罰金(1人につき1000ドル=約11万円)らしい。日本も? アホらしくてやっとれん」
 昨年12月のアジア予選、韓国戦。開始1時間前のメンバー交換後、5分前の交換で韓国は2人も変更。打順も大幅に替えた。故障などの場合の救済措置の“抜け道”に、本戦での禁止を訴えてきたが、シラー会長も出席したIBAF技術委員会の結論は、スポーツマンシップに乗っとって故障以外ではやらないよう要望するだけだった。
 「(意見は)言ったよ。ダメと決めればいいのに。何でもかんでも言い訳して…。日本の常識ではダメということ。日本というよりスポーツの常識やけどな」。沸き上がる怒り。しかし同時に、日本の揺るがない方針も改めて誓った。
 「決まったことやからどうにもならん。日本は正々堂々と戦う!! 国際試合では、それじゃアカンと言われるかもしれないけれど、おれらはそういうことに、慣れていない。相手がやってきても構わない」
 ルールなのだから何をしても勝て、という考えもある。しかし、それはポリシーに反する。自身の、子供のころから学んできた日本の野球に反する。会議後。ジャパンハウス内の前日会見で、韓国メディアから韓国の注目選手を問われると、笑顔でこう返した。
 「特別はないが…。メンバーを代えないことが望ましいですね! 今回はそういうことはないと思いますが」。強烈な一撃で、会場を笑いに包んだ。これが仙流だ。
 「北京五輪で野球はひとまず最後になる。そこにわれわれの名を刻みたい」
 この場所に、最も輝くメダルとともに日本の野球を刻む。正々堂々と、そして力強く−。

サンスポ 2008年8月13日

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